部屋を片づけてすっきりしたいと思ったけど、片づけるべきは部屋ではなかった
結婚してから26年が経ちます。その間、引っ越しは10回。
55㎡の社宅から始まって、78㎡のマンション、70㎡くらいの香港のフラット、150㎡くらいの中国の公寓(マンション)、その他。
インテリアを考えるのが好きで、雑貨も好きで、自分の家を「いい感じ」にするのが好きで、「ホテルみたいな空間がいい」と言い放ち、「見せない」収納をしていました。パズルのように工夫して収納するのは得意なので、自分は片づけが得意だと勘違いしていたんです。「片づけ=しまうこと」で「体裁を整えること」、そして多少の無理があっても仕方のないことだと思っていました。
片づけを学んで勘違いに気づき、いまは何も無理をしない、自然な状態できげんよく暮らしています。
片づけにもやもやする日々
パズルのように詰め込まれた収納。いざ何か使おうと思えば、その見せない収納から取り出してこなくてはいけない。そして、使った後にはそれを戻さなくちゃいけないのに、戻すのが面倒。
気づけば、自分の居場所に返してもらえなかったものたちが、どんどん積み上がったりまとめられ、あげくそれをがはじっこに寄せられ、来客があれば扉の向こうに隠したり。
「見せない収納」とは、決して頑なに見せないと頑張る収納? そんな自分が嫌になって、大掛かりに片づけて、でもまた散らかっての繰り返し。
片づけが得意なはずなのに、いつも片づけでキリキリしているし、片づけても片づけても満足しない。そんなもやもやを長いこと抱えて生きてきて、ある日ふと思ったんです。「私、本当に片づけが得意なんだろうか?」と。結婚してから17年が過ぎていました。
そこで初めて「片づけってなんだろう」と考えました。「片づけ」って勉強できるのかしら?と。
片づけの勉強をする
「片づけ、整理、整頓、考え方」、そんな言葉で検索をして、整理収納アドバイザー2級講座を知り、すぐに受講しました。
片づけとは、整理するとは、収納とは・・・知っているようで知らなかった理論を学ぶことはとても参考になりました。けれど、自分の関心は、片づけにつながるもやもやしている気持ちや、心のありようだったりすることにも気づいたのです。
その関心を、一緒に受講していた方に話すと、「そうやって思うなら、同じ片づけの講座でもライフオーガナイザー2級講座がいいかも」と教えてもらったのです。
帰宅して、ライフオーガナイザーの講座を検索すると、翌月に開催予定とありました。担当講師の方のブログを読んでみたり、ライフオーガナイズでキーワード検索して話題を探してみたり。当時、ライフオーガナイザーとして活動している人はいまほど多くなかったので、ライフオーガナイズに関するエピソードはあまり多くなかったように思います。
そのなかで、ある男性が「ライフオーガナイザーの友人に趣味のフィギュアを捨てられないと話した。どうせ、捨てろと言うんだろうと思ったら『好きなものは捨てなくていいんだよ。大事なものなんだから』と言われて救われた思いがした」というエピソードを書かれていたんです。ものに愛着を持つ自分には、この言葉がとても響き、受講申し込みの後押しをしてくれました。
片づけて、そもそもどうしたい?
ライフオーガナイザー2級講座では、ものを片づける、いわゆる整理収納の技術は学びません。「人生で何が一番大切なのか」「暮らしのなかで優先すべきものは何か」これまで考えたことのない自分の価値観について問われる内容に、なかなかペンが進まなかった記憶があります。
「そもそも片づけてどうしたい?」なんて、あらためて考えたことがなかったんです。
私は「家族仲良く、みんなで笑って、きげんよく過ごしたい」と書きました。
けれど現実は、目の前のものにとらわれて、キリキリして、もやもやして、いらいらを家族にぶつけて。
片づけは、あくまでも手段であって、目的ではない。きげんよく過ごすという目的のために、ではどうすればいいのかを考える。何を考えるのもどう行動するのかも自分で選ぶ。それがライフオーガナイザー2級講座で学んだことでした。
それを本当に肚落ちさせて、実践するまでには、時間がかかるのですけどね。
片づけを学んだから、いまの私がいる
その後、整理収納アドバイザー1級、ライフオーガナイザー1級を取得し、その他さまざまを学び、いまライフオーガナイザーを名乗っています。振り返ってみればこれらの講座の受講が、人生が変わったきっかけです。面倒くさがりで出不精のあのときの私、よくぞ検索して、よくぞ受講した!!とほめてやりたい。私にライフオーガナイズという言葉を教えてくれた隣席の人に、本当にありがとうと伝えたい。
漫然と暮らし、いろんなことに悩んでごっちゃになってもやもやしていたから、片づけに悩んでいたんです。部屋を片づけたかったけど、まず片づけるべきは自分の頭の中でした。
あのときの私がいなければ、きっと今でも不機嫌な私のままだったでしょう。
不機嫌な自分を、自分で選ぶ毎日。その積み重ね。想像すると息苦しいです。
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