片づけても片づけても満足しない、それはなぜ?

 

片づけたいという人たちに、片づけたら何をしたいかと尋ねます。さっと答えが返ってくる人と、しばらく考え込む人と。

私自身が片づけたい、片づけなくちゃといつも思っていた頃は、片づけの意味や目的なんて考えたことがなく、そう尋ねられても答えられなかったと思います。「片づけなくちゃ‼︎」という気持ちに毎日追われている気がして、何のために片づけるのかなんてあらためて考えることはなかったから。

片づけを学んで初めてわかったのは「片づけるために片づけるのではない」ということでした。

 

なんのために片づけるのか

「なんのために片づけるのか?」そう問うと「片づけなきゃいけないから」「片づいてないと気持ち悪いから」「叱られるから」などと答えが返ってきます。

しかし、この問いの「なんのため」が意味するのは「片づける理由」そして「片づけた先はどうしたい?」です。なぜ片づけたいの?片づけ終わったら何をしたいですか?それを達成するためには何をすればいいですか?

 

片づけは目的ではなく、時間を生み出す手段

片づけるために片づけると当然、どれだけ片づけても満足しないんです。散らかればまた不満があふれてくるから。

片づけの悩みを伺っていてよく聞く「いくら捨ててもスッキリしない」「片づけても不満が解消しない」という言葉は、そのゴールが見えていないから。

片づけが目的ならいつまでも片づけをし続ければいいけれど、本当はさっさと片づけて、好きなことをやりたいのではありませんか?

片づけて、それからどうしたいのか?どう暮らしたいのか? その目的がはっきりしていないから、いつまでも物足りなく感じたり、もっとやらなくちゃいけない感がなくならないんです。

漫然と、ただ「片づけなくちゃ」に追われるのは本当にしんどい。

 

「その先どうしたい?」のその先は、大きくなくていい

とはいえ、いきなり片づけの目的や目標などというと、ものすごく大層な気がしてしまうかも。でも大丈夫、そんな壮大な目的じゃなくていいんです。まずは、5分でもいいからゆっくり座ってお茶が飲みたい、本を読みたい、キッチンに立ったらすぐに料理を始めたい、お弁当を10分で作りたい、なーんでも。

とにかく、片づけた後にどうしたいかを考えておく。なんでもいいから「自分のやりたいことをやる」時間をつくるための手段として片づけて、やりたいことができる片づけの仕組みをつくる。

やりたかったことができたら、その片づけは成功。繰り返しできたらその仕組みは完成。小さなことから成功体験を積んで、どんどん積み上げていけたらいいですね。

 

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